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DAVID BOWIE is 〜プレミアム・トークショー 第二回 山本寛斎さん “私の服の最高のモデルはやはりボウイ“ 〜最速レポートをお届けします!

 

さすが登場した瞬間から期待を裏切らない人である。

 

『DAVID BOWIE is』開催記念プレミアム・トークショーの第2弾に登場したのは、半世紀に及ぶキャリアを誇るファッション・デザイナーであり、イベント・プロデューサーとしても活躍する山本寛斎氏。ジギー・スターダスト~アラジン・セイン時代に提供した衣装がボウイ展に多数展示されているだけでなく、ドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ・イズ』にも登場する彼は、ヴィヴィッドなピンクのスーツ姿で現れ、会場を一気に華やいだ空気で包んだ。そしてラジオ・パーソナリティのルーシー・ケント氏のMCで、デヴィッド・ボウイとのコラボレーションにまつわる逸話を、この人ならではのざっくばらんな語り口で聞かせてくれた。

 

その伝説的コラボレーションのきっかけは、1971年に、日本人デザイナーとして初めてロンドンで行なったショウ“KANSAI IN LONDON”。当時ファッション雑誌ではなく専ら音楽雑誌を読んでいた山本氏にとって、海外進出の第一歩をロンドンで踏み出した理由も音楽だったという。「イギリスには音楽の才能がうごめいていて、着ているものも素晴らしかった。だからロンドンの流行発信源キングス・ロードに行くのが夢でした」。モニターには同じ内容のショウを東京で開催した際の映像が映し出されたが、日本の伝統芸能や伝統的意匠を取り入れた、今でも斬新なパフォーマンス・アートのようなショウを見ていると、かれこれ45年前にボウイに与えたインパクトが想像できなくもない。その後ショップを訪れた彼が購入したのが、ボウイ展に出展されているウサギ柄のボディスーツ。ボウイが最初に身に付けた山本氏の作品である。

 

ほかにもお馴染みの衣装が幾つか話題に上った。例えば、ストライプ柄の左右非対称のキャットスーツ。山本氏のニット・デザインの特徴である、豊富な色糸が使われたこの一着を含め、ボウイがまとった衣装はどれも女性用にデザインされたものだという。「なのに非常にきれいに着こなしていて、私の服の最高のモデルはやはりボウイ!」と彼は断言する。“出火吐暴威”の文字をあしらったマントについては、「Tシャツなんかにプリントされている文字は欧文ばかりで、それが癪に障って漢字を選びました」とのコメントが、観衆の爆笑を呼んだ。ちなみに昨年グラミー賞でレディー・ガガが、ボウイの追悼企画のためにこの衣装を再現して着用したが、その時も細かくアドバイスしたそうだ。そして手刺繍を施したハイネックの白いシルクのトップスは、お揃いのパンツが用意されていたものの、ボウイが着たのはトップスだけ。代わりにコーディネイトした白いブーツは、韓国の女性の伝統的な靴にインスパイアされたとか。

 

 

またボウイと初めて対面した時のことも、感慨深げに振り返った。それは1973年2月、ニューヨークでのこと。共にコラボしたスタイリストの高橋靖子氏から連絡を受けて急遽渡米し、空港から直接ラジオシティ・ミュージック・ホールに駆け付けて、ステージで自分の服をまとって歌うボウイを目撃したという。「あの時の気持ちは、言葉にし難いですね。涙が一気に溢れました。私の表現が衣装に現れていて、それを彼は音楽に合わせていて、何人かの人の熱い想いが初めて、ニューヨークの人々に伝えられたわけですから。彼もしゃかりきだったと思います」。以来親交を深めたふたりは、歌舞伎役者の坂東玉三郎氏を交えて食事をしたことも。「“日本=わび・さび”みたいな印象がありますが、日本人には“かぶく”とか“ばさら”といった、あまり世界に伝わっていない、熱い部分がある。これをボウイに紹介したかったと玉三郎さんも言っていました。このDNAは、みなさんにもどこかに引き継がれているはずです」。

 

ボウイ展に関しては、「友人がああやって頑張っていたことを思うと、自分にはまだちょっと命があるわけだから、もうひと踏ん張りしようと。そんな気持ちでいます」と語っていた山本氏、さすが行動力は衰えていない。これまでもスペクタクル・イベント“KANSAI SUPER SHOW”など独創的なアイディアを次々実行に移して人々を楽しませてきた彼は、現在も新たなプロジェクトの準備に忙しいそうで、トークを締め括ったのも「みなさん、どんどん行動して下さい!」との、説得力満々の言葉だった。