COLUMN

「デヴィッド・ボウイが僕の人生を変えた」布袋寅泰、その熱い想いを語る。(ロングVer.)

日本を代表するギタリスト、布袋寅泰は、ボウイの魅力に取り憑かれ、ボウイに大きな影響を受けてきたアーティストのひとりだ。15歳の時にボウイに出会い、現在までその情熱は衰えることがない。

以下は「朝日新聞」2017年元旦に掲載されたインタビューのロング・ヴァージョンである。少年のように目を輝かせながらボウイの魅力を語る姿がとても印象的だった。

 

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――2016年初頭にボウイが亡くなった時、布袋さんはどうされてました?

布袋:ロンドの自宅にいました。朝BBCのニュースを見たら、トップでやっていて、ウソだろうって。たまに誤報あるじゃないですか、ロック・スター絡みの。それかなー?と思った。ザッカリー・アルフォードっていうボウイ・バンドのドラマーが僕のバンドで20年叩いてくれてますから、ザッカリーからボウイのいろんな情報、体の具合が悪いとか聞いてはいたものの、でもまさかと思った。真実だってわかるにつれ、本当に震えるくらい悲しかったですね。

 

――新作の『★(Blackstar)」をリリースした直後の、本当に突然の訃報でした。

布袋:なんかこう、最後にして最高傑作だと思うんですよね、ある意味。その時代を象徴するような輝かしき作品はたくさんあるけど、やっぱり彼という円熟した表現者、シンガーとしてのスキルと、テクノロジーという大きなものを、サウンドとして本当に表わすことのできた、本当の最高傑作だと思ってたから。初めて聞いたときにあまりの美しさや完成度の高さに僕は震えたし、涙も出た。なのにその直後に亡くなってしまって。でも逆にいうと、ああいう最高の作品を残して逝く幸せっていうのも、もちろんありますよね。

 

――アーティストにとってはああいう死に様というか、最後に素晴らしい作品を遺してこの世を去るっていうのは、ある種の理想型だったりするんですか。

布袋:普通できないでしょ。自分の死を予感しその中で作っていたものなのか、ある種の遺言みたいなものや、すべてのものを託したのか。なんかこう暗号みたいにさ、音の中に込められているパワーも感じるしさ。僕らだってあと何枚自分の作品を作れるのかなんて予想もできないし、サバイヴしていくだけでも大変だから、そんな中でああいう彼らしいやり方で……まぁ、美しい最後だなと思いますよね。

 

――ボウイとの最初の出会いは?

布袋:14歳でロックのレコードやギターに目覚めた頃(注:布袋は1962年2月生まれなので、1976年に14歳)、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルや、もちろんローリング・ストーンズやビートルズ、そういったブリティッシュ・ロックが王道だったけど、その中でもデヴィッド・ボウイは別格のスタイルがあったし、本当にあっという間に夢中になりましたよね。

 

―― 一番最初に接した作品はなんだったんですか。

布袋:一番初めはね、記憶の中で僕の初めてのデヴィッド・ボウイは『ヤング・アメリカンズ』。『ミュージック・ライフ』で見た『ヤング・アメリカンズ』の広告が初めて。覚えていますね、でも初めて聴いたのは『ロウ』(1977年)とか『ヒーローズ』(1977年)ですね。

 

――最初聞いたときはどうでしたか?

布袋:いやぁ、難解ですよね。ヴォーカリストのアルバムなのにインストゥルメンタルがあるってことが不思議だったし。ただまぁ、あの頃はクラフトワークみたいなものも聞いてたし、それこそイタリアのプログレとかね。僕の学校の先輩に小林径(のちにDJ)っていう、とてもマニアックなロック・マニアがいて、彼からいろんなものを教えてもらって。中学生とはいえ普通みんなが知らないようなジャンルを聞いてたからね。とはいえ、ロックの音じゃなかったですからね、『ロウ』も『ヒーローズ』も。

 

――それまでの布袋さんが知っているロックの概念とは違ったと?

布袋:違いましたね。リフがあってノリが良くて熱狂があってというのとは違う、なんか重苦しくて憂鬱で悲しみがあって、その中に「ヒーローズ」って光が見える。とっても興味がありましたよね、そこにベルリンっていうキーワードがあって。ただまぁ、グラビアで見たりするデヴィッド・ボウイは既にスターとしてのアイコンだったし、ジギー時代やそういった写真を既に見ていたから、最初はなかなか『ロウ』や『ヒーローズ』にはイントゥできなかった。自分はもうギターを始めていたけど、『ロウ』も『ヒーローズ』もギターを一緒に弾きたいタイプのアルバムじゃないじゃない?

 

――(笑)そうですね。

布袋:それが遡って『ヤング・アメリカンズ』や『ステイション・トゥ・ステイション』を聴くようになり、ファンキーなカッティング、ちょっとアヴェレージ・ホワイトを思わせるような、リフとファンクなカッティング、ダンサブルでファッショナブルなロックっていうのが新鮮で。だから初めてボウイの曲をコピーしたのは「愛しき反抗」や「ジギー・スターダスト」じゃなくって、「ステイ」とか、ああいうカッティングだったんですよね。それが僕のギター・スタイルにもすごく影響していると思う。

 

――なるほど。

布袋:あの頃はレッド・ツェッペリンのレコード買うとジミー・ペイジのポスターがついてきたし、バンドっていうとギタリストが花形で。レコードの針を落として一発目に聞こえてくるのがギターのリフやソロで、ギターが花形でしたから。みんなロックやるっていったらまずはギターを手に取りましたよね。僕もやはりロック=ギターだったから、ジミ・ヘンドリックスやジミー・ペイジも好きでしたけど、でもやっぱり、デヴィッド・ボウイの世界観っていうか、作品作品ごとに違う、まるでファンタジーの本を開くようにまったく違う世界があって、まったく違うサウンドがあって、カメレオンのようにどんどんどんどん自分を脱ぎ捨てて、また変化して次のデヴィッド・ボウイになっていく、その姿にすごくワクワクして、夢中になったんです。

 

――わかります。

布袋:僕はデヴィッド・ボウイの選ぶギタリストが好きだったんですよね。ミック・ロンソンも好きだったし、カルロス・アロマーも好きだし、アール・スリックもエイドリアン(・ブリュー)もそうです。とにかく、デヴィッド・ボウイの音楽の中で鳴っているギターにすごく興味があって。僕はデヴィッド・ボウイの隣でギターを弾きたかった。だから、デヴィッド・ボウイのレコードを聞きながら「ステイ」をコピーしたりするとまるで、デヴィッド・ボウイと一緒にプレイしているような気持ちになれた。ジミ・ヘンドリックスみたいなギタリストをコピーするんじゃなくて、ヴォーカリストの隣で鳴っているそのサウンドを自分も鳴らしてみたかった。デヴィッド・ボウイがピックアップするギターや音楽スタイルっていうのは常に一歩先をいっていたし、みんなの様相とちょっと違う、ある種キュレーターみたいなところがあるじゃないですか。彼の選ぶ目っていうのは。だから僕は常にデヴィッド・ボウイのギタリストを追っかけてきた気がする。

 

――デヴィッド・ボウイに認められて、そばで弾けるようなギタリストになりたいと。

布袋:やっぱりデヴィッド・ボウイの音楽がかっこよかったからでしょうね。そこで鳴ってるギターは全部かっこいい。

 

――布袋さんが目指していたのは、旧来のガンガン弾きまくって表に出ていくギター・ヒーロー像みたいなものとは違っていたということですね。

布袋:うん、いま思えばね。

 

――デヴィッド・ボウイの世界観や変わっていく姿がお好きという話ですが、音楽的にはどういうところが魅力ですか。

布袋:なんといっても歌と声。彼の声が発せられる瞬間に感じる、ダンディズムや、ある種ジェンダーを超えた、すべてを乗り越えた不思議な魅力があるじゃないですか。そこは絶対的。常にアヴァンギャルドで実験的で、それを彼自身が楽しんでいるっていうか、ユーモアのようにも感じられる。世界を翻弄するデヴィッド・ボウイを演じながらね。我々はずっと、そんなデヴィッド・ボウイに翻弄されている。それをまた彼自身が楽しんでるみたいな。

 

――常に謎を投げかけて、この作品はどう解釈したらいいんだ?とか常に考えさせられる。

布袋:彼のファンやロック・ファンは最新のデヴィッド・ボウイに対して、常に否定的でしたよね。わからないから。なんでこうなったの、と。『レッツ・ダンス』なんかもね。ボウイ・ファンからも、これはボウイじゃないと言われるくらい、……そのくらい、僕らがついていけないくらいの速度で変化していましたよね。どんどんどんどん自分を脱ぎ捨てていった。そこにとどまることを嫌ったんだと思うんですよ。そのスタイルも僕はすごく影響を受けている。

 

――アーティストとしては、ああいう風にスタイルをガラガラかえるっていうのは、やはり相当に大胆なことなんでしょうか。

布袋:単純に言えば飽きっぽいじゃないんですかね。飽きっぽいっていうのは結構大切なことで。もしくは執拗に執着するか。もう追い込んで追い込んで、絶対ぶれずにそれだけを追求するか。どっちかですよね。飽きっぽいっていうとあれだけど、どんどん脱ぎ捨てる、変わって行く。変わることを恐れず楽しむ。そのどっちかですよね、ストーンズなんかはどっちかっていうと前者(変わらない)だし。ボウイはもちろん後者。

 

――布袋さんも変わって行くほうですよね。

布袋:僕も35年目になって、自分なりに変わってきたつもりだけど、辿ってきた道を振り返ってみて、自分ではずいぶん曲がりくねった山あり谷ありの道を歩いてきたつもりが、今になって振り返ってみるとなんてことない一本の道だったりしますから、

 

――でもそれが人の個性ってものでしょう。

布袋:うん。僕はあえて変わろうとしてきましたけどね。同じことを2度繰り返さないというか、常にちょっと破滅的に、壊しながら進んで行く。そういうところにロックの美学を感じているし。

 

――それはやっぱりボウイの影響。

布袋:ボウイも、セックス・ピストルズも。ビートルズもそうかもしれない。

 

――私の場合「スターマン」がボウイとの出会いでしたけど、ロックって変わって行くもんだって、それが当たり前なんだってボウイによって刷り込まれた気がします。そういう影響ってすごいでかいと思いますね。

布袋:ですよね。そうじゃなきゃロックじゃないくらい僕も思ってたしね。あとやっぱり、グラマラスであること。なんかすごくサムシング・ストレンジでサムシング・ディファレントな、なにか人と違う、世の中と違う、そういう違和感のようなものがロックだと思うし。その後に等身大の自分を代弁するようなメッセージ性の強いロックもエネルギーを持ってきたけど、ロックの魅力って一種のファンタジーだと思うよね、特にグラム・ロック。時代を作って行くというか、ファッションもそうだし、リズムもそうですよね、ダンス・ミュージックやエレクトロニクスや。ボウイはいつもその先頭にいた。でもそこには常にギターのサウンドがあったんです。ギターが前面に出てない曲でも、彼のギターが好きだったんだろうなと思いますよね。

 

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――布袋さんがボウイに直接お会いになったのは日本公演ですか?

布袋:一番始めに会ったのは、僕が「GUITARHYTHM II」(1991年)っていうアルバムを作ったときに、TV番組で僕がロンドンのホテルのボウイの部屋に行ってインタビューするっていう企画があって、それが一番初めですね。

 

――そのときの印象は?

布袋:とにかくね、会う度に緊張しちゃうんですよ。もう、なに喋ってるのかわかんないってくらい。やっぱあの目に見つめられたり、あの声を聞いたり、目の前に彼がいるだけで。自分の永遠のアイドルだしね。もう舞い上がっちゃうし緊張しちゃうし。他の人ではそんなことないけどデヴィッド・ボウイだけはね、何度会ってもドキドキバクバクしちゃって、自分が可愛いなと思いましたけどね(笑)。

 

――私も二回くらい対面取材したことあるんですけど、すごくいい人じゃないですか。優しいし気を遣うし、超スーパー・スターの割に(いい意味で)威圧感があまりないというか。

布袋:そう。でもそれがまた緊張しない?単純にアイドルだから、僕の憧れの人だから。何度会っても憧れのままだし、逆に人間性に触れると、おっしゃる通りジェントルマンだしとっても思慮深いし、人を気遣うし、あとすごくユーモアがあるしね。その場を本当にリラックスさせる力があったじゃないですか。その後にスイスのマウンテン・スタジオで作品を作っているときに、昨日までデヴィッド・ボウイがレコーディングやっていたと聞いてね。クイーンのスタジオだったんですけど、まだ機材が残っているから見るか?と言われて、その部屋に行ったらまだそのへんに残ってたりして。で、そのエンジニアからレコーディング秘話を聞いて……あれはなんだっけな?『リアリティ』じゃなくて、もっと前か?(注:おそらく『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』(1993年)か、『アウトサイド』(1995年)のころと思われる)それでいろんな話を聞いて。そのときは僕のアルバムをミックスしてたんだけど、スタジオで座って聞いていたらいきなり扉が開いて、ヒゲをはやしたデヴィッド・ボウイが来たんですよ! スタジオに忘れ物をしたって言って。そのころ彼はモントルーに住んでいて、スイスのスキー・ウェア着て、ヒゲはやして、自分でメルセデスの四駆を運転してやってきた。そのときも写真撮ったんだけど、僕は顔がこんなに緊張してて(笑)。あのメルセデスがかっこよくて忘れられなくて、日本に帰ってきてすぐ同じメルセデスを買って(笑)。

 

――はははは(笑)。

布袋:そんなこんなで、また本当にラッキーなことにオープニング・アクトなんていう光栄なチャンスをもらって(1996年6月、日本武道館)、別にボウイが僕の音楽を認めたり、僕の才能や僕の存在を知って僕を選んでくれたというわけじゃ決してないんだけど。ウドーさん(ボウイの招聘プロモーター)から、オープニングアクトやらないかと話を聞いたときは夢のような話だったし。そんな風に何度か交流がありながら、またデヴィッド・ボウイの音楽を支えたマイク・ガーソンやザッカリーやリーヴス(・ガブレルス)や、アール・スリックや、あのへんのミュージシャンとの交流も始まって、けっこう長い間ボウイ・ワールドにいさせてもらって、いろんな話を聞いたり、実際お会いしたり、そういった時間を持ててとっても幸せだったなと思いますけどね。

 

――武道館では「すべての若い野郎ども」で一緒に演奏されましたね。

布袋:そうなんです。武道館公演は2日間あって、初日のデヴィッドのリハーサルが終わったあとも、彼は僕のリハーサルも見てくれて。全部終わったら「明日あたり一緒にやろうよ」ってデヴィッドが言ってくれて。それで僕はバクバクして。で、ライヴが終わって(山本)寛斎さんが来たり、鋤田(正義)さんが来たり楽屋でみんなでワイワイやって。その日の夜東京のホテルの食事に呼んでもらって、僕も参加させてもらったんですよ。それで、バンドとみんなでバーで飲んでいて、先ほどの明日一緒にやろうよっていう話がいつ出るかなーと僕はずっと待ってたんだけど、全然出ないまんま「じゃあおやすみ」ってデヴィッドさんは部屋に戻ってしまった。で、待てよ、と。このままにするとさっきのせっかくの夢のような話が消えてしまう。僕はその頃は英語がまだ全然拙かったんで、ちょっと友人に手伝ってもらって僕の夢を……今思えば暑苦しい手紙だけど、手紙を書いてデヴィッドさんの部屋のドアの下から入れておいたんです。「さっき言ってくれた一曲一緒にやってくれるって話、明日それが実現するんだったら僕の長年の夢が叶うんだ」みたいなことをね。そして次の日武道館に入ったら「さて、どの曲やろうか?」ってデヴィッドが言ってきて。で、そのときに言ってもらったのが「すべての若き野郎ども」と「ヒーローズ」はどうだって。でも僕を何を思ったか、今思えば明確だけど、「ヒーローズ」は断ったんです。なんかこう、「ヒーローズ」はやってはいけないと思って。

 

――やってはいけない、とは?

布袋:うん、僕もボウイ・ファンだし、そのデヴィッド・ボウイの隣で、ボウイ・バンドじゃない人が「ヒーローズ」に参加するっていうのはなんかこうトゥーマッチじゃないかと思ったんです。僕がファンとしてそれを見たらあんまりウエルカムじゃないだろうし。あと、自信もなかったんでしょうね。こんなに自分にとって大切な曲を自分がやるってことを受け入れる度胸がなかった。「すべての若き野郎とも」はよくコピーしてきた曲だし大好きな曲だし、結局その一曲を選んだんです。今もし同じことがあっても、「ヒーローズ」は断るだろうなって思う。この間ストーンズとやったときも(2014年3月6日、東京ドーム)、もしも「サティスファクション」やろうって言われたらたぶん、いや、「ホンキー・トンク・ウイメン」でも、それはやれないって言ったと思うんですよね、それで結局「リスペクタブル」って、僕もあんまり聞き込んだことのない3コードのジャムっぽい曲でやらせてもらった。なので「ヒーローズ」はせっかくのお誘いだったけど、お断りしたんですよね。

 

――でもボウイは布袋さんに「ヒーローズ」を弾かせたかったわけですよね、

布袋:まぁ、あれも2コードだから、パンと乗ろうと思ったら弾きやすいのかもね。僕にロング・トーンの(ロバート・)フリップみたいなことさせるわけないし。それはリーヴスがやってるから。ジャンガジャンガジャンって、2コードわかればできるんで、アンサンブルも。

 

――やりやすいってことで選んでくれた?

布袋:もしくは俺のその想いを汲んでくれて、最高のプレゼントとして「ヒーローズ」って言ってくれたのかもしれない。それはぜんぜんわかんない。

 

――どっちにしても、いい人ですよね。

布袋:ですよね。しかし人の隣でギターを弾いてあんなに緊張したことは人生で最初で最後じゃないかな。だってデヴィッド・ボウイが隣にいる、しかもステージで。あの距離感や光景、モニターとかステージの中で聞こえるデヴィッド・ボウイの声や、バンドに対して背中でリードしていく感じとか、もうほんと、ゾクゾクするような瞬間でしたね。

 

――客として見てるときとは違う気づきとかありました?

布袋:おこがましくもミュージシャン同士っていうコミュニケーションがそこにあるし、またデヴィッド・ボウイっていう音楽の中に入っている、体感しているっていう手応えもあって。バンドも素晴らしいし。それはミュージシャンじゃなければわからない、ギタリストでなければわからないことかもしれないけど、ドラムのリズムがあってアンサンブルがあって、ヴォーカリストがいるっていうその中でギターを弾く喜びっていうのが、なかなか言葉でたとえづらいけど、とっても甘美な瞬間でしたね。後のストーンズのステージ上のサウンドはまたものすごかったし、ロキシー・ミュージックはロキシー・ミュージックで、本当になんかもう極上のグルーヴだったし(2010年7月31日フジロック・フェスティヴァルで共演)。ステージの音がね。この中で彼らは音楽作っているんだって。デヴィットさんのときも、ヴォーカリストって意外とバンドの音を聞いてない人とかいるから。歌だけしか聞いてないっていうか。ヴォーカリストのモニターのそばにいくとがっかりしちゃうことありますけどね。ギターなんか聞いてないじゃんって。

 

――ああ、なるほど。

布袋:でもやっぱデヴィッド・ボウイは違いましたね。表に出てるくらいのアンサンブルが、ステージの上(モニター)でも同じように大音量で鳴ってて、すごくエキサイティングなサウンド環境。

 

――バンドのサウンドの中で自分のヴォーカルを活かすことを考えてたってことですか?

布袋:サウンド・メイキングもしてたってことでしょうね。

 

――俺の歌に合わせればいいんだよ、って考えてるヴォーカリストとは違う。

布袋:違いますね。こう、自分対バンドって感じで命令口調でこうやれああやれってタイプではまったくないし。猛獣使いじゃないけど、うまーくみんなを乗せながらコントロールするっていうか。たとえばマイク・ガーソンっていうピアニストとか、弾けといったら無数の音階をとめどなく弾いてしまうような人なんだけど、それも使いようだと思うんですよね。一緒に僕もワン・ツアーやってもらって思ったけど。だからデヴィッド・ボウイっていうのは、ミュージシャンの持つそれぞれのいいところをピックアップしてミックスしながら自分のスタイルにしていく、その力がものすごい強かったんでしょうね。元々フォーク・スタイルだった彼がマーク・ボランと出会って影響されて、エレクトロリックになっていたみたいなところがあるじゃないですか。

 

――周りのものに対してオープンで、影響をいい意味で受けないと、あそこまで変わっていけないですよね。

布袋:でもね、舞台ではもちろんシンガーなんだけど、やっぱりなんかこう、すごく芸術家肌なんですよ。来日したときも、東京でアートの本を買うにはどこに行けばいいんだ?って訊かれて、原宿の『オン・サンデーズ』がいいんじゃないか?って言ったら、アート本を何十冊も買ってきて部屋に置いてたって。そういう環境じゃないと落ち着かないのか。後にそのツアーを名古屋や福岡も一緒にまわったんだけど、名古屋のライヴが……僕は客席で見ていて素晴らしかったと思ったけど……ご本人は満足いかないものだったらしくすごく落ち込んでて、今日はすべてがうまくいかなかったと言って、元気がない。そのあとバンドがみんなで食事をしてるところにデヴィッドがいきなり来て、ギルバート&ジョージっていう英国のアーティストがいるじゃない? 彼の難解なビデオをもってきて食事している間にそれをかけるんですよ、本当に難解な、僕らみてても何もわからないようなものを見て大声で笑ってる。ホント涙流すくらい大笑いしてるんですよ、それをみんなで30分くらい見て、それですごくご機嫌になってたんです。なんかこの人は常にアートな時間の中に自分を置いてそこを泳いでるみたいな感覚で、その中に音楽があるのかなって思った。よく言うじゃないですか、デヴィッド・ボウという作品、と。生活の中でもアートを纏ってデヴィッド・ボウイっていう作品を俯瞰しているっていうかね。ちょっとしたプライベート、舞台から降りたボウイからも、それを感じましたけどね。

 

――生活している24時間すべてがアートであり、表現につながっている。

布袋:うん、そう。

 

――そういう生き方って、凡人からすればしんどそうな気がしますが。

布袋:いやいやいや、憧れですから憧れちゃいますけどね。まぁ、本当のプライベートはすごくリラックスしてた方かもしれないけど。

 

――布袋さんは1991年にボウイの「スターマン」をカヴァーされてますね。

布袋:他にもチョイスはたくさんあったけど、ちょうど『GUITARHYTHM II』の頃、ブレイクビーツでロックすることが僕にとっては面白くてね。その頃はまだコンピューターがそれほど音楽にとって便利なツールじゃない頃だったし、なんかコンピューターと対峙してぶつかるようなロックンロールっていうのが僕にとって刺激的で、ジグジグ(・スパトニック)とかジーザス・ジョーンズとかね。ちょっとキッチュなバンドだったけど僕も若かったし。じゃあブレイクビーツでデヴィッド・ボウイを、って思ったときに「スターマン」を思いついた。あのストロークとブレイクビーツっていうのが面白いチャレンジだな、という理由だったの。もちろん、好きな曲だけど。それ以外にも「ジーン・ジニー」とか。あとは僕らのバンドのBOØWYの頃は「サフラジェット・シティ」とか、ライヴでやってましたね。高校生の頃はもちろん「愛しき反抗」とかね。でも「ステイ」が弾きたくても、「ステイ」を一緒にやれるバンドがいないじゃないですか。

 

――高校生くらいだとなかなかいないでしょうね。

布袋:いやぁ、大人になってもいないでしょう。でも、先日あれご覧になりました?『ステイション・トゥ・ステイション』のトリビュート・ライヴ。アール・スリックとバーナード・ファウラーの(2016年5月、ビルボードライブ)。僕はロンドンで見たんだけど、素晴らしかったね、バーナード、彼のボーカルが。ボウイの歌を歌ってさまになる人っていないじゃないですか、基本的に。でもやっぱさ、『ステイション・トゥ・ステイション』ってアルバム自体が、ボウイが黒人音楽、黒人ヴォーカリストのソウルっていうか、そこにすごく憧れを持ってた時代だったと思うし、それが色濃かった作品だし。それをあの彼(バーナード)がふかーい声で歌い上げたときとか、曲によってはオリジナル以上だったぐらい。それを聞いて、ボウイがやりたかったことってこれなんだな、とわかった気がしましたね。

 

――なるほど。

布袋:あと、ドラムのザッカリーからいろいろ話をきくと、結構僕らはカルロス・アロマーだと思って聞いてたギターが実はアール・スリックだったらしい。アール・スリックはかなり活躍してるんですよね。表立ってないけど、アールのギターを聞くとなるほどこれはアールだったか、これもアールだったか、と。何を言いたいかというと、あんなに複雑にミクスチャーされたあのスタイルは真似ようがない。デヴィッド・ボウイ好きの人はたくさんいるだろうけど、デヴィッド・ボウイみたいな音楽なんて作れないじゃないですか。やっぱり、ストーンズのように「変わらない何か」っていうのはデヴィッド・ボウイの中にはないから。常に液体のように、気体のように、球体のように、こう、形を成さずずっと変化しているデヴィッド・ボウイっていう。作品ごとに切り取ると、この音この時代、このサウンドってあるけど、全体を通すとやっぱ全て「デヴィッド・ボウイ」だしね。そういう意味だと珍しいアーティストだしシンガーですよね、シンガーとしても素晴らしいし。

 

――生前のルー・リードにデヴィッド・ボウイについて訊いたら「あいつは歌がうまい」と、真っ先に歌のうまさを評価していたのを憶えてます。

布袋:僕は最近イギー(・ポップ)とも会ったりするんだけど(HOTEI名義の最新作『STRANGERS』の2曲でイギーが参加)、そうすると、ボウイはこのイギーのワイルドな、っていうか野生にとてつもなく憧れたんだろうし、2人は心をわけた双子のように影響しあっていた時期があるんだなぁとか。イギーがまたいま、すごくいいときだからさ。デヴィッド・ボウイが亡くなってから見えてきたことってたくさんありますよね。彼の偉大さももちろんだけど、彼がロック・シーンに及ぼした影響の大きさ。

 

――布袋さんがおっしゃるように、いわゆる特定のサウンド・スタイルを貫き通した人ではないから、このスタイルを真似すればボウイに近づけるとか、そういうことではない。ではどういう影響を受けるかっていったら、アーティストとしてのあり方とか、そういうことなんでしょうね。

布袋:彼はいつも自分を楽しんでいたように見えるよね。実験的なレコーディングでアルバムを作っても、スタジオでしかめっ面してる感じがしないっていうか。実験をすごくやんちゃに楽しんでるっていうか。

 

――『アースリング』ってアルバムあったじゃないですか、あれ聴いたときに思ったんですけど、ほとんど思いつきで、実験というよりはドラムンベースに夢中になったその勢いの遊び心で、こんなに美しいアルバムを作っちゃう人なんだな、っていう。

布袋:うんうん。そうなんでしょうね。

 

――そこでアーティストとして終始一貫したふうに見せなきゃいけないとか、辻褄合わせなきゃいけないとか、一切考えてない。そこがすごいなと。

布袋:逆に言えば、歌ったら全部ボウイになるっていうか。あの声と独特な歌い回しと、オクターブ低いところ重ねたりファルセットに行ったり、あのしなやかさがどんな音楽もデヴィッド・ボウイ色に染めるって自信もあったんでしょうね。またそのどんなビートでも踊れるっていうか、そういうしなやかさを自分でしっかり知っていたからこそ、とてつもないアヴァンギャルドなことをやってもボウイ節はしっかり聞こえてくる。あのときあんなにアヴァンギャルドに思えたベルリン三部作だって、今となるととても美しいピースに聞こえますしね。そういう時代の変化。あのときは(ベルリンの)壁もまだあったわけだし、時代も今とぜんぜん違うわけだけど。僕はやっぱ中学高校のときに聞いたベルリン三部作の「ベルリン」というキーワードがとっても残っていたので、僕らがやってたBOØWYってバンドは全く音楽性も違ったけど、たまたま当時の佐久間正英というプロデューサーからベルリンでレコーディングやらないかと声が出たときに、僕はもう両手を上げて、行きたい!と。

 

――ハンザ・トン・スタジオでやりたいと?

布袋:ええ。でもうちのメンバーは「なんで?なんでベルリンなの? ベルリンってなんなの?」って。ボウイとかあんまし聞いたことのない人たちだったから。それでハンザトンに初めて行って、ドイツ・サウンドの妙っていうか、ハンザ・トン・スタジオの妙っていうか、そういうものを体験したりしてね(『BOØWY』1985年)。

 

――なるほど。

布袋:振り返る余裕もなかったし、スピードも楽しんでいたし、前に進むことしか考えてなかったから、自分がどんな道を辿ってここまで来たかなんてことは意外と自分で意識してなかったんだけど、今回デヴィッド・ボウイが亡くなって改めて気づいたんです。僕は14歳でデヴィッド・ボウイと出会ったからこそ今あるわけで、たぶんデヴィッド・ボウイだけが好きだったんだな、って。

 

――あ、そこまで言いますか。

布袋:うん、っていうくらい、俺は本当にデヴィッド・ボウイが好きだったんだなと思う。

 

――常にボウイを意識しながら歩んできた?

布袋:だから、BOØWY(結成当初は”暴威”)ってバンド名は僕が付けたわけじゃないんだけど、初めはすっごい嫌だったもん(笑)。もー頼むからやめてくれって。もしも、そんなことないと思うけど、将来デヴィッド・ボウイと会ったときなんて言えばいいんだってくらい。BOØWYですなんて嫌じゃん。外国の方はみんなブーイって言うので、ボウイとはみんな呼ばないんだけどね。そのぐらいデヴィッド・ボウイが好きでしたね。

 

――今回のボウイ展はご覧になられたんですか?

布袋:はい、行きました。ロンドンで。いや、ファンにはたまらないです。英国はロックンロール自体が英国の輝かしき歴史だし、そこでデヴィッド・ボウイ展を見るっていう、ボウイの歴史に触れるっていうのは僕にとって特に特別なことだしね。ロンドンって憧れの街だったから。いつかギターを弾いてプロになってロンドンに行きたいと思って、ギターを始めたくらいだからね。で、まぁ非常に奥深い展覧会だったし、一緒に行った家内はあまりにも変化の連続すぎて混乱してたみたいだけど(笑)。それぐらいめまぐるしいじゃない? 僕はたまたまラッキーなことに実際お会いしたり彼の音楽仲間から話を聞いたり知ってることもあったから、個人的にとても感動する部分もあったし。僕が見たのはまだ亡くなる前だったけど、とにかくV&A始まって以来の動員でチケットも本当に取れなかったし、行っても朝から長蛇の列だったし、イギリス中もしくはヨーロッパ中からお客さんが集まって。ここのところ音沙汰のないデヴィットの歴史をみられるアーカイヴって初めてだったしね。すごく熱狂的でしたよね、僕を含む観覧者たちが。ヘッドフォンをして会場内を動くたびに、そのときそのときの展示に合わせて違うサウンドが流れるっていうとっても音楽的な空間であったし、ファッションや文学や、とてもアヴァンギャルドな手法での作品の作り方とかの解説もあり、若かりし日の彼のスタート・ポイント、本当にロンドンの一人の若者がいろんな経験をして、どうやってアイコンになっていったのかって過程が本当に楽しめる、僕はボウイ・ファンだけど、ボウイファンじゃなくても一日中居たいと思わせる空間で、しかも流れが素晴らしかった。

 

――布袋さんはどこに一番感動しました?

布袋:ちょっとしたメモとかね、直筆のメモとか、この作品はどんな手法で作られたって、スタジオ・ワークのなかなか目にすることのできないようなものもあったし。そうですね……やはりベルリン時代のところかな。やっぱり自分の原体験だし、自分のリアリティとして。どん底だったデヴィッド・ボウイがベルリンから「レッツ・ダンス」を経て、なおまた実験的な存在でいるっていう、そこかな。

 

――あの展覧会、私もイタリアで見たんですけど、メモとかスケッチとか、ツアーのセットの模型とか、本当に細かいところまで全部残ってるじゃないですか、あれはもちろんボウイ個人がちゃんとその気になってとっておかないとあんだけのアーカイブはないと思うんですけど、すごいマメな人なんだな、って。

布袋:マメだったんですかね?

 

――ミュージシャンの中には、昔のライヴのフライヤーとかそういうのちゃんと取ってる人とか結構いますよね、

布袋:あぁ、高橋まことっていう(笑)。

 

――まあボウイ本人がマメだったかどうかはわからないけど、そういう人がいるとアーティストの足跡とか辿りやすいですよね。布袋さんはどうですか?

布袋:僕は結構無頓着だよねー。僕は過ぎたことは全くもう、クールなわけじゃないけど、もう終わったことは終わったことっていうか、なにも残しておかないタイプですね。でもね、引っ越した時に鋤田さんからモノクロのプリントをプレゼントしていただいたんです。『ヒーローズ』と、あと僕とボウイが一緒にやった武道館の一枚。一枚だけデヴィッド・サイドからオッケーがでたショットがあるんですよ。それを大きく引き伸ばしてもらって。あとマーク・ボランのギター持ってる有名な写真とかね。この数枚の写真が僕にとってはもう大きな宝物だし、思い出の品はそれで十分。自分が10代のときに夢見たロック・スターやロックンロールの世界の中に一瞬でも自分が飛び込めたってことは、ラック(幸運)だけじゃなくって、僕なりのチャレンジ精神や僕なりの一歩が彼らに近づけたと自分は思いたいしね。

 

――そうですね。

布袋:鋤田さんとお話ししてると面白いですよ。山本寛斎さんもすごくエネルギッシュで勢いのある人ですね。山本寛斎とデヴィッド・ボウイって一度見たら頭から離れない強烈なインパクトがあったじゃないですか、ロックンロールミーツ歌舞伎みたいなさ。海外から見た日本の美意識ってあると思うんですよね。それの先駆けだったと思うし、あの頃の本当にぶっ飛んだ、破壊することに美しさを求めた時代、あのパワーがボウイ展の端々からみられましたよね。

 

――普通の人間だったら着ることをためらうような奇抜な衣装とか結構ありますもんね。

布袋:ありますよね。(筆者に)似合わないですよ、きっと(笑)。

 

――そりゃそうです! 布袋さんはファッションにもこだわりがあると思うんですけど、ボウイのファッションやセンスに関してはどう思いますか?

布袋:いや、もう、なにもかもかっこ良かったですよ。いわゆるロック=長髪ではない、だってオールバックとかさ、トレンチコートの襟立ててオールバックとかさ、そういうロック・スターっていなかったし。イギリスのダンディズムみたいなものはもう各時代に絶対的にあったし。ファンクやインダストリアルなサウンドに傾倒していくと彼自身もどんどん変わっていってね、ワイルドになっていったり、すごくワクワクしましたよね、次のボウイはなんなんだろうって。

 

――最後に、ありきたりな〆になりますけど、布袋さんにとってボウイとは?

布袋:まぎれもなく、僕の人生を変えた人。そしてロックのダイナミズムやロックの破壊性や、美しさや普遍的なものや宇宙観まで、とにかく僕にロックのすべてを教えてくれた人。みなさんが気づいていないけれど、デヴィッド・ボウイから影響受けたものっていうのは、彼の存在や彼の音楽や彼の発信するすべてから影響を受けたものは、今のアート界や音楽界や、あらゆるところに、たぶん本人も気づいてないかもしれないけど、継承されていると思うんですよね。それを一言でいったら「美学」だと思うんですよね。その貫く美学、そして壊す美学。壊すことならできるし、貫くだけならできるけど、そこに美学があるっていうのは難しい。デヴィッド・ボウイの繰り返し壊し、繰り返し再生し、本当にアメーバーのように変化しながら常にデヴィッド・ボウイであり続けたたという、その彼ならではの表現から感じられるすべてだと思うね。だからロックはリアリティであり、生々しくあるべきだし、ロックは荒々しくあるべきだし、ロックはロックであるべきだけれども、やはりデヴィッド・ボウイが残したメッセージのように、「貫く美学」があるべきだと思うんですよね、そこがなければいくらノリがよくてもロックとは呼べないんじゃないかなって僕は思う。僕には僕の美学がある。僕はデヴィッド・ボウイの遺伝子を受け継いだけど、僕は僕のスタイルを貫くことで彼へのリスペクトや感謝に代えたい。それがロックンロール・ミュージックの楽しさを伝えていく上で、僕にとって一番大切なことだと思います。

(2016年12月12日)

文: 小野島大

写真:前康輔

 

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(朝日新聞2017年元旦掲載)